福島県史料情報 第4号
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伊達政宗書状

 寛永11年(1634)6月2日伊達政宗は将軍徳川家光上洛の供奉(ぐぶ)を仰せ付けられ、将軍に先立って江戸を発ち、東海道を経て6月19日に入京した。閏7月2日には前関白(さきのかんぱく)近衛信尋(このえのぶひろ)から観能会開催の要請があり、この日政宗は信尋邸に参上し饗応に預かっている。

 これに関連する史料が上掲の伊達政宗自筆書状(楮紙〈ちょし〉)で、花押は寛永期の公用花押第九類のものである。政宗は茶人の安楽庵策伝に対し、忙しくて御無沙汰したことを詫び、お手紙や贈り物を賜ったことを感謝し、それをいただいたことを伝えた。先日お会いできたことを嬉しく思い、まだ名残惜しいので信尋の要請によって閏7月18日に三條の仙台藩京邸で観能会を催すので、その折に見物に来て下さるよう誘った。

 18日に観能会が催され、能十番が演じられた。これは主に政宗の奥小姓(おくこしょう)で能をよくした桜井八右衛門によって舞われた。この会には当代きっての文化人政宗と親交のあった八條宮智忠(としただ)親王・近衛信尋・飛鳥井雅宣(あすかいまさのぶ)・西洞院時慶(にしのとういんときよし)等が訪れている。政宗は8月19日に京都を辞した。この年政宗68歳の秋であった。結果的に今回が最後の上洛となったのである。

(渡辺)

   以上、
此中者、取分不得隙無音ニ罷
過候處、御懇札并一種贈預、則
賞味仕事ニ候、先日者入御、遂
會面本望候、併御残多候、来十
八日 近衛様(信尋)申請能興行仕候、
其刻御出可有御見物候、尚期面
上候、恐惶謹言、
    閏七月三日(寛永11年)   政宗(伊達)(花押)
            松陸奥守
〆   安楽庵(策伝)御報     政宗

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過去から未来への大切な贈り物

館長 長谷川文夫

 この4月、新しく館長で参りました、長谷川であります。どうぞよろしくお願いいたします。

 福島県歴史資料館は、昭和45年9月、多くの先輩諸氏の努力と御労苦により、当時の文化会館、美術博物館とともに福島県文化センターの一つの施設として開館いたしました。

 歴史資料館の設立が具体的に検討されはじめたきっかけは、昭和37年から開始された福島県史編纂会議において、県史編纂のためにせっかく調査、収集された貴重な歴史資料の散逸の防止と、全国的にみても貴重な明治、大正期の県庁文書の保存と利用の問題等が検討された事が発端と聞いております。以来三十数年経過し収集資料は、近世・近代文書が約13万8千点、県庁文書等が4万7千冊に及んでおります。

 ところで、今、全国的に気になる事が一つあります。それは、市町村合併等で公文書が散逸したり、廃棄されたりはしないか?という問題であります。ご案内のように、政府は平成12年12月1日に閣議決定した「行政改革大綱」において2005年度末までに合併特例により全国の3200ある市町村を1000程度にする方針を打ち出したからです。それを受けて本県もいくつかの地域で合併に向けた動きがありますが、昭和28年の町村合併促進法の時の合併の際に貴重な公文書が、廃棄されたり、散逸したりした苦い経験があるからです。

 このため、全国歴史資料保存機関連絡協議会(全国の資料保存機関や行政文書管理担当者で構成)が総務省に対して、市町村に公文書の引継ぎの円滑化と、保存の徹底を図るよう指導することを要請をしてきたところですが、去る5月に北海道で開催した同協議会役員会では11月に仙台で行われる総会で、さらに一歩踏み込んで、県や市町村は公文書館等を創設したりして歴史的な公文書が散逸しないよう保存することを、県と市町村に直接要請する決議を行うことを決定したところであります。

 言うまでもなく公文書館法(昭和62年法律第115号)第3条では、「国及び地方公共団体は歴史資料として重要な公文書等の保存及び利用に関し、適切な措置を講ずる責務を有する」ことになっており一定の義務を課しておりますが、それ以前に、私たちは公文書を含めた歴史的古文書は『祖先から未来への大切な贈り物』であり、大事にして行きたいものであります。

 

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会津農書を読む  近世農書の草分けである『会津農書』は、江戸時代会津幕内村(現会津若松市)の肝煎であった佐瀬与次右衛門が貞享元年(1684)に著した農業の研究書である。同人の『会津農書附録』『会津歌農書』とともに、近世農書として全国的にも優れた数少ない貴重なものである。

 『会津農書』は3巻からなり、著者与次右衛門が自ら体験し研究した技術の記録と、それを子孫に伝え技術のより向上と、地域農民への普及啓蒙を目的とし、とくに会津という地域の気候や地質を考慮した農業を試みたもので、地域の特色を著したものとして注目される技術書である。構成は第1巻は水田の部、第2巻は畑の部、下巻は農家のあり方や心得を著している。

 とくにこの農書には、3巻に住まいや農具が詳しく書かれ、たとえば田下駄の一種のナンバや籾選別具のユリオケなど会津地方の農具の記載もあり、この地方の近世の農民生活を具体的に知ることができる。

 『会津農書』は、今残っているものはすべて筆写本で、昭和期に筆写されたものを除けば、明治期の初瀬川健増筆写(初瀬川文庫)の上中下3冊のほか、享保期の杉原勝清筆写中巻、安政期の晦月斎温知筆写(喜多方市立図書館)、弘化期の角田本と今回紹介した寛延期の佐々木本だけである。

 この農書については、これまで庄司吉之助氏をはじめ数多くの人が紹介され、昭和57年農山漁村文化協会から『日本農書全集19』に『会津農書附録』とともに収録されており、この本では初瀬川本を底本とし翻刻と現代語訳は長谷川吉次氏が解説している。

 今回紹介した佐々木本は、大沼郡昭和村松山の佐々木秀英家に伝わるもので、先祖佐々木和右衛門が寛延元年(1748)に筆写と巻末に記され、現在当歴史資料館に寄託され収蔵されている。

(村川)

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新公開史料の紹介

早田傳之助家文書(その2)
早田家は伊達郡北半田村(桑折町)の名主・戸長を勤め、殖産土木に尽力した素封家である。幕末には、幕府直営を離れた半田銀山の経営に関与している。明治7年からは、薩摩士族の実業家、五代友厚の経営。早田家文書は1944点。昨年度は近世文書1075点を公開した。本年度、残る近世文書535点、近代文書334点が閲覧可能となった。
特筆すべきは嘉永2年「御銀山御入用木売渡証文之事」明治2年「銀山置米月延証文之事」同6年「半田銀山出金銀買帳」など、銀山関係文書近世108点、近代28点である。昨年度の銀山関係文書580点と合わせて、半田銀山の盛衰をほぼ把握できる。

円谷重夫家文書(その3)
円谷家は白河藩領石川郡明岡村(矢吹町)の庄屋。今回、収蔵資料目録第17集で未収録となった近世文書238点、近代文書90点が公開となった。
特に、嘉永7年「通船御開阿武隈川御見分入目帳」など、明治期に至る阿武隈川舟運関係の文書は重要である。明岡河岸は幕末、庄屋円谷茂平らの請願により開設。物資交流の拠点となった。

旧大屋村役場文書
「大屋村」は、明治22年(1889)から昭和30年(1955)まで存在した行政村で、現在の大信村の一部にあたる。村域は大里・隈戸・下小屋の3大字よりなり、昭和24年の大里独立を経て、同30年に隣村の信夫村と合併し、現在に至る。
当文書には、明治期から昭和期にかけての公文書57点と、大信村公民館で保存されていたと思われる簿冊2点を納めた。
内容は、村行政に関するさまざまな台帳や村会会議録が多く、この時期の村政のあり方を明らかにするための貴重な史料といえよう。


刊行物のご案内

福島県歴史資料館研究紀要
 第25号が刊行になりました。内容は以下のようです。
   17世紀中葉白峯(しらぶ)銀山争論と論所のその後〜絵図にみる国境・村境(阿部俊夫)
   『福島県報』の誕生〜府県公報の史料学的検討(山田英明)
   史料紹介『天保十五年辰年季和蘭別舶渡ニ付崎陽見聞書』について(伊藤忍)
   市町村合併と公文書の保存〜福島県の事例(轡田克史)
   記録史料保管機関逐次刊行物に見る書誌情報(手塚裕美)

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