福島県史料情報 第5号
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若松県管内略図

明治元年(1868)9月戊辰戦争が終結し、会津藩は崩壊した。
明治政府は11月までに津川・小田付・若松・坂下・野沢・猪苗代・田島の各民政局を設置。旧会津藩領域・南山御蔵入領域を管轄下に置いた。
2年5月各民政局の統廃合により、若松県が成立した。


8年(1875)11月若松県は現在の県政要覧に相当する、銅版刷・折本形式の『若松県一覧概表』を刊行した。
その内容は極めて簡便であるが、官庁位置・管轄区域・学区・戸籍・通運会社・名山・温泉・産物・民費などである。
例えば、官庁位置は県庁若松郭内一之丁、支庁会津郡田島・蒲原郡津川、出張所大沼郡西方・耶麻郡小荒井・同郡猪苗代。管轄区域の町数・村数は会津郡87町・309村、大沼郡161村、河沼郡248村、耶麻郡311村、安積郡内11村、越後国蒲原郡内70村、総計 87町・1,110村。人口は男108,849人・女103,203人。戸数は40,522戸のようである。


本図は一覧概表の冒頭に掲載された付図である。
例言には「県庁位置山野湖沼大川等ハ明治八年五月中ノ測量ニ従フ」とあり、5月実施の測量に基づいて作成されたことが判明する。
山野の比高差は「ケバ」により極めて精緻に表現している。縮尺は64万8千分の1。図中標目は国界・郡界・県庁・支庁・出張所・国幣社・道路・川・山・湖沼など。郡名は短冊状の枠内に、駅里(宿駅)名は道路沿いに並ぶ楕円形の枠内に記載されている。「ケバ」の途切れた図中の中央は会津盆地。周回する県境外側の余白には、羽前国置賜郡・下野国那須郡などの国名・郡名が記載されている。
若松県域の要点だけを図示した本図は一覧概表の理解を助ける趣向が随所に凝らされている。


9年(1876)8月、若松県は福島・磐前2県と合併。新たな福島県が成立した。

(阿部 俊夫)

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東講商人鑑

東講(あずまこう)とは江戸の商人大城屋良助が創立した、東日本を中心とする旅宿の組合である。
東講に加盟した旅宿は一定水準を満たしていると見なされた。旅宿には目印の札を掛け、旅をする場合には身元を証明する鑑札を持つことになっていた。

『東講商人鑑(あずまこうあきんどかがみ)』は安政2年(1855)に出版された。
内容は東講加盟の旅宿の一覧表である。これによって旅人は、どんな土地に行っても上質な旅宿を見つけることができ、どのような商店があるのかを知ることができた。町や名所の様子を描いた挿絵もあり、商人必携のガイドブックであったといえる。

この本は東講加盟者だけが購入できることになっていた。そのため奥付には、講元・大城屋良助の名前の隣に持主欄が設けられ、誰の所有であるかを明示することになっていた。
当館保管本(庄司吉之助家文書U-3466)は元福島大学教授庄司吉之助氏の収集資料であるが、持主欄の記載によって、この本を最初に手にした人物が明らかになっている。奥付には「千八百三拾二 安政三丙辰年十月十日請」という書きこみがあり、「奥州本宮玉川屋」の印が捺されている。本文を参照すると、奥付の玉川屋は「千八百三十二 本宮南町 呉服太物酒店 玉川屋儀作」であることがわかる。

この本には数次にわたる改版が確認されており、その先後関係を明らかにする研究も行われている。
先日、他施設が所蔵しているものをいくつか実見したが、いずれも当館保管本とは版が異なっていた。改版のたびに情報の変動があり、空白が増え体裁が崩れていくと考えられる。安政3年の書き込みを持つ当館保管本は体裁が整っており、比較的早い段階で出版されたものとみられる。

『東講商人鑑』の諸本を比較することにより、変動著しい当時の商業活動の一端を垣間見ることができるのである。

(轡田 克史)

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帝国貴顕御肖像について

筆者は収蔵資料テーマ展「錦絵の描く世界〜江戸から明治へ〜」を担当し、錦絵に続く明治の印刷技術として石版画(せきばんが)も30点ほど取り上げた。
これまでほとんど知られていなかった石版画の史料紹介をしてみたい。

この石版画の作品名は「帝國貴顯御肖像」(左掲載図)で、請求番号は「鈴木道郎家文書」2025号。同文書群は18世紀後半から昭和期前半までの赤坂東野村(現東白川郡鮫川村赤坂東野)の名主文書および役場文書で、総件数は2033件。これらは既に『歴史資料館収蔵資料目録』第12集(1983年)に収録され、閲覧・公開に供されている。

「帝國貴顯御肖像」の作品データは次の通りである。
明治23年(1890)6月26日印刷、同年同月同日出版、御届の記載はない。画作・印刷・発行人は東京神田区通新石町6番地の有山定次郎で、その下に印文「有山製造」の方形朱印(1.2×1.1cm)が捺されている。外寸は36.0×47.6cm、画寸は29.0×38.3cm。作品仕様は単色石版に金刷りである。

明治天皇(睦仁〈むつひと〉)の容姿は明治6年10月8日に写真師内田九一の撮影の写真に基づいている。服装については、同21年イタリア人画家エドアルド・キョッソーネが描いたコンテ画を写真師丸木利陽が撮影したものを基本としつつ、一部勲章を省略している。
昭憲皇后の容姿も同6年10月14日に内田九一撮影のものに準拠している。

当時の石版画の肖像画では「天皇」「皇后」という名称は用いられず、「帝国貴顕」「皇国貴顕」「皇朝貴顕」「皇国高貴」「皇国貴族」などという表現がとられた。上部には交差する日章旗と旭日旗、その中央に十六葉八重表菊の紋が配され、金刷りであしらわれている。中央下方には五七桐の紋を描いている。これらにより画像主が天皇・皇后像であることを明示している。
この史料が地域の名望家に伝来したことの意味は大きい。

(渡辺 智裕)

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新公開史料の紹介

野地一二氏文書
信夫郡関谷村(福島市)の検地帳4点。
特に、万治元年(1658)11月「信夫郡之内関谷村御蔵定納御帳」は貴重である。
寛永十五年検地によって確定した持高、慶安2年までの新田開発高に対する年貢高を本百姓ごとに記載しており、伊達・信夫郡が米沢藩領であったころの年貢制度を詳細に把握できる。

青砥和夫家文書(その2)
青砥家は棚倉藩領・幕府塙代官領東白川郡伊香村(塙町)の名主。
『歴史資料館収蔵資料目録』第8集で未収録となった47点である。

常世中野区有文書(その2)
『福島県古文書緊急調査報告II』で未収録となった昭和20〜30年代常世中野区(塙町)の文書39点。
終戦直後の農村復興など、行政区の運営が判明する。

弓田四郎家文書
会津藩預地の南山御蔵入領松川組塩生村(下郷町)の近世文書134点、近代文書31点。
その大半は質地証文・金子借用証文である。

渡部周一家文書
南山御蔵入領楢原組小池村(下郷町)の近世文書13点、近代文書24点。

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展示のご案内

当館では、10月10日(金)より、平成15年度歴史資料展として「ふくしまの俳諧―「おくのほそ道」以後―」を開催します。

福島県は、古来より歌枕の地として知られ、さまざまな和歌に詠みこまれてきました。そのため、多くの文人たちが実際に当地を訪れ、種々の文学作品を残しています。
なかでもよく知られているのは、俳聖・松尾芭蕉でしょう。

芭蕉翁終焉記(佐藤健一家文書-114、当館保管) 元禄2年(1689)深川を出立した芭蕉と曽良は、旧暦の4月下旬(現在の6月頃)白河の関に達しました。
それから、須賀川や福島などを経て、伊達の大木戸をくぐるまで、彼らは本県域にとどまり、いくつもの句を残しています。

これ以降、さらに多くの墨客が来訪し、その影響も受けながら、本県の俳諧文化は育まれ、優れた俳人たちを生み出しました。

今回の展示では、芭蕉の「おくのほそ道」行脚以後の本県における俳諧文化について、次の小テーマに分けて考えてみたいと思います。
 1)「おくのほそ道」の風景
 2)ふくしまの俳書・句集
 3)ふくしまの短冊・掛軸
このうち、1)では芭蕉の短冊や伝記などの関係資料を、彼を魅了した本県の風景とともに紹介します。
また、2)と3)では、本県ゆかりの俳人たち(たとえば、須賀川の多代女や小高の駒村)が編んだ俳書や句集、あるいは彼らが残した短冊・掛軸などを取りあげます。
これらの諸資料に注目しながら、俳諧が地域社会において果たした役割についても考えてみたいと思います。

この展示を通じて、本県の俳諧文化への理解を深めるとともに、地域の歴史と歴史資料へも関心をお持ちいただければ幸いです。

会期   10月10日(金)〜11月24日(月)
開館時間 午前9時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日  月曜日
     ただし10月13日・11月3日・24日は開館し、
     10月14日(火)・11月4日(火)は休館いたします。
入場料  無料
※担当学芸員によるギャラリートークも予定しています。

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講習会のご案内

当館では毎年、県民一般の皆様を対象として地域史研究講習会を開催しております。
本年度は、10月18日(土)・19日(日)の両日、福島県文化センター2階会議室において、歴史資料展にあわせて俳諧関係を中心とする報告を行ないます。

内容は早稲田大学講師 杉 仁先生による「福島俳諧と蚕種商俳人 ─風流と経済の旅を見る─」、須賀川市立博物館館長 横山大哲先生による「おくのほそ道と須賀川の俳人」、埴谷島尾記念文学資料館 寺田亮先生による「小高町の俳句文化」ほか、当館学芸員数名による講義を予定しております。

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