福島県史料情報 第6号
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当所八景

昔から景観や自然環境は人々の暮らしや思考に微妙に影響を与えてきました。
21世紀は景観も含めた環境がこれまで以上に重要視され、人と生きとし生けるものとの共生がいわれるようになるでしょう。

上に掲げた史料は『当所八景』(内題は檜枝岐村八景)で、法量は23.5×15.5cm、表紙とも7丁よりなる竪帳一冊の古文書です。文化8年(1811)2月に13歳の星藤太郎が作成した もので、和歌と絵が巧みな色使いで描かれています。

            駮毛に似たるこまかたけかな 夏懸て峯に残れるしらゆきハ    駒嶽之暮雪          宮居に給へぬ鈴のこゑかな 吹ならす峯の松風おとつれて    宮地之晴嵐
この史料は檜枝岐村文書のうちの一つで、同文書群は会津郡古町組檜枝岐村名主兼沼田街道檜枝岐口留番所役であった星縫殿之助家の伝来文書。
檜枝岐村八景の内訳は、宮地之晴嵐、駒嶽之暮雪、向村之夕照、村橋之帰樵、瀧沢之夜雨、見通之落鳫、扇平之秋月、星隆庵晩鐘の八景です。

そもそも八景は瀟湘(しょうしょう)八景に淵源を発し、日本の近世社会ではそれぞれの地域で瀟湘八景になぞらえた地域の名所「○○八景」が成立してきます。また、近世後期には名所図会の板行も盛んになりました。
瀟湘八景は、中国湖南省の洞庭湖に注ぎ込む湘水とその支流である瀟水の合流点付近にある八つの佳景のことです。具体的には、平沙落雁、遠浦帰帆、山市晴嵐、江天暮雪、洞庭秋月、瀟湘夜雨、煙寺晩鐘、漁村夕照の八景です。檜枝岐村八景もこの瀟湘八景に見立てたものであることが容易に分かります。そのほか県内では、梁川八景、高子二十境、松川十二景、北山八景、小名浜八景などもこの系譜を引くものでしょう 。

(渡辺 智裕)

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『都会節用百家通』

節用集は漢字を「いろは」順に配列した国語辞書「字引」。その成立は室町時代である。
江戸時代には、日本図・歴代天皇・名所旧跡・文書書き方・行儀作法など、人々が日常的に希求した多彩な教養・娯楽的情報を付加して広く流布するようになった。文化情報を満載した節用集は辞書というよりも、教養書的な性格を強くしていた。
『国書総目録』は全国各地に残る類本約500点を掲載している。節用集は名望家・素封家必携の国語辞書となっていた。

江戸時代の堀江与五右衛門は伊達郡梁川町に居住し、同郡東根郷の村々をたばねる割元役を勤めていた。
残された堀江家文書約1100点は現在、当館の保管となっている。その中には、節用集の類本『都会節用百家通』が含まれている。
奥付には「寛政十三年辛酉春正月刻成 文政二年己卯秋八月再刻 天保七年丙申春四月三刻」「浪速書林 敦賀屋九兵衛・炭屋五良兵衛・象牙屋治良兵衛・河内屋喜兵衛」とある。初版は寛政13年(1801)、再版は文政2年(1819)。本書は天保7年(1836)刊行の三版である。刊行は大坂の本屋の共同事業になる。

本書は縦26.1センチ、横19.3センチ、全丁311丁である。本書が大型・大部となった要因は充実した付録が挿図と共に、巻頭・本文頭書・巻尾に配置されたことによる。
付録の内容は多岐に渡る。その目録によれば、巻頭は世界万国之図・大日本并異国人物・歎書色紙短冊書法・躾方手引之図・武具之図・茶湯手引指南・証文手形案紙など、60件。頭書は御公家鑑・将軍家伝略・書札認方心得・碁双六将棋之事・諸病妙薬集・四季料理献立など、35件。巻尾は毎日支干之繰事・人倫之異名・男女相性之事・米引心得之歌など、14件である。

陸奥国伊達郡の堀江与五右衛門が「世界万国」「異国人物」の情報を真に必要としていたのか、疑わしいが、巻頭・本文頭書・巻尾の付録は全国各地の名望家・素封家が教養として知らなければならない文化情報であった。
江戸時代の人々は地域的な伝統文化を継承する一方で、出版事業を介して均一的で画一的な知識を享受、共有していたのである。

(阿部 俊夫)

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芭蕉翁異聞

松尾芭蕉(1644‐94)は、江戸時代を代表する俳人で「おくのほそ道」行脚の途次に本県を訪れたことも有名である。

その生涯はこれまでに編まれた多くの伝記により知られているが、高名な人物であるだけにさまざまな俗伝も残されている。

たとえば、ここで取りあげる「芭蕉翁三日月の句」という小話もそのひとつで、名を秘して参加した月夜の句会で「名月の句」を詠むよう迫られた際のことが記されている。

はじめ芭蕉は「貧道は野外の小人、争か君たちの中に交わりて興を添ふべけんや」と辞退したものの断りきれず、結局「三日月の…」と吟じ始める。これを聴いた一座の者は「明月の句に三日月とは、さても烏滸なる法師よな」と嘲るが、芭蕉は意に介さず「…頃よりまちし今宵かな」と続けるのであった。

これを受けて人々は「かかる秀句を吐たまふは、いかなる人にて候ぞ」と座を正し、正体を明かした芭蕉に無礼を詫びるという筋立である。

右の逸話は、嘉永3年(1850)刊行の『松亭漫筆』(庄司家寄託文書II-3536)に収められている。著者は松亭金水(1797‐1862)、為永春水の人情本を浄写しているうちに自得し、戯作の道に入ったという人物である。

文中に「こは人口に膾炙して、珍からぬ話説」とあるように、当時よく知られた話であったようだ。ただ、金水によれば、鎌倉時代に成立した『古今著聞集』にも同様の説話が見られ、恐らくはそれを踏まえ改変したものだと考えられる。

したがって、「芭蕉翁三日月の句」は俗伝の類にすぎず、芭蕉の伝記としての史料的な価値は皆無である。しかし、やや視点を変えれば、古来より伝わる説話の新たな主人公として取りあげられるほど、芭蕉は人々にとって名の知られた親しみ深い人物だったともいえよう。その意味では、この史料もまた、芭蕉の持つ一側面を象徴しており興味深い。

(山田 英明)

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『療治医案』

大沼郡三島町の河越家に伝来する古文書群のなかに、江戸から明治時代にかけての医学関係の文書がある。

河越家は、会津大谷組桑原村(現大沼郡三島町桑原)の名主として代々勤めた家柄であるが、一方医者でもあった。天保八年(1837)に河越逸郎が桑原村に町医(民間開業医)として開業している。

県内の近世の医学は、藩医と民間医(町村医)に分かれる、初期は儒学と密着した儒医が活躍し、漢法による医学が中心であったが、幕末になると蘭学が入り、藩医の一部や民間医も蘭学を学び、洋法医学を志すようになった。

河越逸郎は、文政年間に会津藩医で学者でもある小池求古に師事している。小池は本草関係に詳しくまた、若松年中行事その他の資料を集め『会津歳時記』を著した学者であり、そこで修行を行い漢法医学を修め桑原村の医師となり、幕末には郡中の医道取締方を命ぜられている。そして明治以後も戸長の勤務と民医として活躍した。

この河越家文書に『療治医按』がある。医按(案)とは医の考え方や治療について記したもので、いわゆる現在のカルテをもとに治療法や処方箋をまとめたものである。当時は患者の名前帳および医按を役所へ差し出さなければならなかった。

医按の内容には、患者の症状とそれに対する治療と回復までの経過や処方箋などが詳細に記している。また、なかには手を尽くして治療してもその効なくという例もあり、「医ヲ更ヘ手ヲ尽スト云モ百寸効ナシ」「其苦患ヲ座視スル忍ビズ」など医者としての苦悩の跡が窺える文章も見える。

医按の著者には、小池玄亨・佐藤玄孝・馬島瑞園などがいる。小池玄亨は小田附村の医師であった。馬島瑞園は藩医であり、松平容保の御側医師として仕え、和歌、絵画を愛した人である。これらの人達の「医按」の存在は河越家との交流を窺える。

(村川 友彦)

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地域史研究会活動状況

本会は、昭和40年(1965)1月、「いわき地方の歴史を通して、郷土をより深く、より正しく理解しよう」とする目的のもと結成され、今年で発足38年目を迎える。また、「郷土の文化の向上に一翼を果たす」べく、同年8月には機関誌『いわき地方史研究』が創刊され、年1冊以上のペースで発刊を続け、今年9月に第40号を刊行している。

主な活動は、毎年開催される例会・総会に合わせた講演・研究発表大会と前述の機関誌発行であるが、その他の様々な文化活動にも実績がある。
今年の講演・研究発表は、伊能秀明氏(明治大学刑事博物館事務長)による「明治大学所蔵 内藤家文書の世界」と題する講演と、鯨岡勝成氏(多摩美術大学講師)による「点景・南島論ー袋中から岡本太郎までー」と題する研究発表であった。
伊能氏の講演は、磐城平藩ゆかりの譜代大名内藤家に関わる古文書をテーマとしており、最大・最良の内藤家文書をコレクションする明治大学博物館ならではの専門的な内容が聞かれた。
対して、鯨岡氏の研究発表は、いわき地方出身の僧侶で、戦国時代末期の琉球に漂着し、仏教を伝道した袋中上人が著した『琉球神道記』という琉球(沖縄)についての歴史書を基軸に、近代日本を沸かせた南島論までの思想史を辿ったテーマであり、当地出身の人物が端緒となる南島論の概説的内容であった。

もう一つの活動の中心である機関誌『いわき地方史研究』は、会員のみならず、非会員からの投稿であっても、いわき地方の歴史に関わるテーマの論文は積極的に掲載しており、郷土いわきを内面から研究する場であるとともに、いわきから全国へ発信する学術雑誌ともなっている。殊に、ここ数年は誌面が充実していて、全国の歴史学研究者・歴史愛好家からも注目を集めているのである。
今年9月に発刊された最新号『いわき地方史研究』第40号には、13もの論文・エッセイ・史料紹介などが掲載されており、原始・古代から近世・近代にまで至る多様なジャンルが網羅されている。特に、菅原文也会長の論文「律令軍団磐城団の所在地について(予察)」は、近年いわき市において気運の盛り上がってきた歴史公園構想とも深く関わる研究成果であり、全国的にも注視されるものとなるだろう。

(代表幹事 大竹 憲治・野坂 知広)

住 所 〒970-8004いわき市平下平窪中島町1−10 菅原文也方
電 話 0246−23−4123
会 誌 年1回発行『いわき地方史研究』第40号(平成15年9月)
会 費 3000円
会員数 105人

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全史料協大会報告

全史料協(全国歴史資料保存利用機関連絡協議会)は歴史資料の保存機関、保存活動に従事する個人で構成される全国組織である。現在の会員数は機関172、個人会員317。第29回の全国大会は11月19〜21日、仙台市の仙台国際センターで開催された。参加人数は290人であった。今回の大会テーマは「21世紀の史料保存と利用〜歴史資料をいかに残すか」である。近年の市町村合併は全国的な趨勢である。合併によって、行政文書の廃棄・消滅が予想される。

今回の議論の中心は予想される事態に対処して、廃棄・消滅に直面しつつある行政文書をどのように保存していくのか。この点であった。これに関して、各地の保存活動の現況報告があった。上越市史編纂室「歴史資料をいかに残すか」、広島県立文書館「市町村合併と公文書保存」などである。このような報告に対して、保存活動に取組む参加者からの活発な質疑応答がなされた。

宮城県公文書館は平成13年4月に開館した。明治期以降の県庁文書約4万冊を収蔵して、閲覧・利用に供している。最終日は開館間もない同館の視察見学であった。

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