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福島県史料情報 第18号(平成19年12月14日発行)

 
 目 次
 『明治14年の暗号盤』
 写真の円盤は、明治14年(1881)6月29日に、内務省から福島県へ送られたものである。張り合わされた2枚の円形紙には、イロハ45文字が、黒字で時計回り(大円)、朱字で逆時計回り(小円)に書き込まれている。また、小円に空けられた小窓からは、一~四十五号までの番号を見ることができる。
『明治14年の暗号盤』
(明治・大正期の福島県庁文書F220)
 この奇妙な円盤が、警察関係者の間で使用されていた暗号の作成・解読盤であることは、「警察暗号凡例」なる添付書類によって判明するのだが、その使用法については次のように記されている。

一、黒字ヲ普通トシ、朱字ヲ暗号トス。
一、此暗号ヲ用テ通信スル時ハ、信文ノ初メニ其番号ヲ記載スベシ。
   但、番号ハ普通ノ仮字ヲ用ユベシ。
一、此暗号ハ、用イル毎ニ換ユルヲ好トス。

 つまり、「信文」(通信文)冒頭の番号に小窓を合わせ、「黒字」(普通文)と「朱字」(暗号文)を対応させて、暗号を作成あるいは解読せよということである。たとえば、「九号 ワレハヨカセ」であれば、ワをフ、レをク、ハをシ、ヨをマ、カをケ、セをンに変換し、「フクシマケン」となる。
 実は、この暗号盤が交付された明治14年10月は、のちに立憲改進党の領袖となる大隈重信が政府を追われ(明治14年の政変)、板垣退助らが自由党を結党した月であった。これ以後、政府と民権派の対立が激化していくのであるが、福島県でも、翌年1月に三島通庸県令が着任し、民権派を弾圧した福島事件へと繋がっていく。
 この暗号盤は、その過程において、民権派の動向を監視し、報告する際に用いられたものだと思われる。
(山田英明)
  
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 陸奥国信夫郡上鳥渡村の絵図
 当館に収蔵されている寄託古文書のなかには、近世の村の様子を描いた絵図も含まれています。今回は、そのような当館収蔵の絵図の中から、上鳥渡区から寄託された「陸奥国信夫郡上鳥渡村」の絵図を紹介いたします。絵図は「明和二酉(1765年)に作成されたことが記されております。
『上鳥渡村絵図』(上鳥渡区有文書)
 上鳥渡村は福島市上鳥渡区とほぼ一致し、絵図の保存状態が良好なため、現在の鳥川小学校周辺や日吉神社、緑ケ丘・しのぶ台ニュータウンのあたりが昔どのような姿だったのか手に取るようにわかります。
 絵図は南を上に描き、上鳥渡村の南側に「山田村境」、西側に「荒井村境」、東側に「下鳥渡村境」、北側に「下村境」などと墨書されています。山田村は現在の福島市山田区、荒井村は荒井区、下鳥渡村は下鳥渡区であり、下村は現在の佐倉下で、天明7(1787)年に田沼意次の孫意明を藩主とした下村藩が成立し、その後文政6(1823)年に田沼氏の転封により消滅しました。
 鳥川小学校あたりには、「観音寺」が記され、本堂や鐘楼・山門が描かれています。寺の周囲の木立も堂々としていて、当時から名刹であったことがうかがえます。
 日吉神社のあたりには「山王」の記載が認められ、参道・鳥居・本殿が描かれております。日吉神社は別名山王様とも呼ばれ、当時から信仰を集めていたことがうかがえます。緑ケ丘・しのぶ台ニュータウンのあたりは山並みが描かれ、「あたご山」と記されております。下鳥渡から荒井にかけての主要道路は、観音寺脇で下鳥渡からと下村からの道が合わさり、現在の上鳥渡字茶畑あたりから団子田に曲がり、樋ノ口を通って荒井字叺内に向かう道であったことがうかがえます。
 このように、近世の絵図は、身近な歴史をわかりやすく伝える史料であります。これからも、様々な視点で調べて行きたいと思います。
(山内幹夫)
 
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 ふくしまの郡役所1
 郡は、古代の律令時代には行政区画として役所が設置されていたが、中世以降は次第にその機能を失い、近世には地域区分にとどまっていた。
『郡役所建物敷地等調』
(福島県庁文書-F1128)
 明治新政府も当初は、郡を行政区画として用いず、新たに区(大区と小区)を設けて町村を編成した(大区小区制)。しかし、区はもともと戸籍編成のために設定した区画であり、伝統的な町村との間に様々な矛盾が生じた。
 そのため、政府は明治11(1878)年に「郡区町村編制法」を制定し、大区小区制にかわり、町村を地方行政の末端組織と位置付ける新たな地方制度を定めた。しかし、政府の施策を徹底させていくには、まだ町村制は近代的な行政体として未整備であり、小規模すぎた。このため、町村を統轄する広域の行政区画として、郡が復活した。
 明治12(1879)年1月27日に、県の布達に「郡ノ事務取扱所ハ戸長役場ト可称此旨布達候事福島県令山吉盛典」とあり、戸長役場と同時に設置された。当初の郡役所の位置は次のように定めている。信夫、伊達、安達、安積、岩瀬、南会津、北会津、耶麻、河沼、大沼、東蒲原、東白川、白河、石川、田村、菊多・磐前・磐城、楢葉・標葉、行方・宇多の18郡役所が置かれた。なお、東蒲原郡は明治19(1886)年に新潟県に編入された。
 信夫郡役所は、福島町字南裏・上町一番地(現在の福島警察署)に置かれ、福島市全域に及んだ。
 福島県庁文書のなかに『郡役所建物敷地等調』(F1128)という表題の簿冊がある。この公文書は、明治13(1880)年1月6日調査の「信夫郡明細表」があり、「信夫全図・信夫郡役所敷地建之図」がついている。
 【敷地坪数】687坪3合5勺
 【建坪数】108坪5分(庁舎建坪数90坪半、倉庫建坪9坪)
 西向きの門から玄関に到り、建物となる。内部には、窓・障子・テーブルの配置が記載されている。その後、明治16年11月に疑似洋風建築の信夫郡役所が建設された。
(高橋信一)
 
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 私立渡瀬図書館の開館
 本年1月14日、東白川郡矢祭町に「矢祭もったいない図書館」が開館し、その自立的な町作りとあいまって全国から関係者の視察が相次いでいる。11月9日には「ライブラリー・オブ・ザ・イヤー」で同館は今年度の優秀賞を受賞するに至った。従来の図書館学的観点からその問題点を指摘することは易しいが、全国には図書館未設置の自治体はまだ数多くあり、財政的な理由から閉館や縮小を余儀なくされる館があるなかにあって、どのような形であれ新たに船出したという事実は重いであろう。長期的な視点に立てば、図書館を始めとした文化施設の有無は将来の地域創造に与える影響が大きいと筆者は考えているからである。


上は『図書館寄附及諸入費仕訳帳』
(渡瀬区有文書629、本文中の図版1)
下は『渡瀬図書館印』
(渡瀬区有文書630、本文中の図版2)
 ところで、今から約100年前の東白川郡鮫川村渡瀬に私立渡瀬図書館が存在したのをご存じの方は少ないのではなかろうか。当館には鮫川村渡瀬区から渡瀬区有文書634件が寄託されている。これらは既に『歴史資料館収蔵資料目録』第15集(1985年)に整理・収録され、閲覧・公開に供されている。文書群の年代は、初見が幕府領であった慶長18年(1613)から下限が昭和35年(1960)までにわたり、構成は江戸時代の渡瀬村名主文書と近現代の渡瀬区行政文書からなる。自明のことだが、一般に区有文書は公文書としての性格を帯びているものであることを強調しておきたい。
 私立渡瀬図書館は、明治42年(1909)に渡瀬区長蛭田長治が設立者となり、藤田千代松を館長として創設された。蛭田は明治40年5月から、藤田も明治43年5月からそれぞれ鮫川村会議員を務めており、この地域の有力者であった。後述の菊地留吉も含め、村会議員やその経験者が渡瀬図書館長の任に当たった事実が判明するのである。大正4年(1915)11月23日『図書館寄附及諸入費仕訳帳』(渡瀬区有文書629号、図版1)は私立渡瀬図書館の設立経緯やその運営を窺い知ることのできる貴重な行政文書が編綴されている。
 設立年代については史料によりゆれが見られ、同一のシリーズである『福島県学事年報』でさえ年次によって明治40年、明治42年、明治43年と食い違いをみせている。さらに『福島県教育概要』(1912年)によると、設立は明治43年2月11日であったという。この2月11日は当時の紀元節の日であり、明治時代の思想が色濃く反映されている。
 大正4年10月31日には、渡瀬図書館長菊地留吉より渡瀬区長でもあった同人に対して図書購入費5円40銭の受取が出されている(渡瀬区有文書630号)。菊池は明治37年5月から大正2年5月まで鮫川村会議員を務めていた。この文書には印文「東白川郡鮫川村渡瀬図書館」の方形朱印が捺されているが(図版2)、前述の『図書館寄附及諸入費仕訳帳』に綴られている明治41年12月の『寄附人名簿』表紙の渡瀬図書館取扱所にも据えられている。この印章は遅くとも同年2月以前に作製されており、その費用は65銭であった。図書の購入先は博文館・宝文館・大倉書店などであり、蔵書数は大正5年度末の段階では290冊であったという。
 この時期の図書館は地方改良運動の一環として位置付けられ、「通俗図書館」と呼ばれている。県内では日露戦争や皇太子巡啓を契機として設立されたものも多い。渡瀬図書館の設立にあたっては、主に地域の住民の寄附によっているが、これとは別に渡瀬青年会も援助しており、明治41年3月の『図書購入金寄附簿』の趣旨には、「図書館ナルモノヲ設立シテ、互ニ知識ノ交換ヲナサントス」と述べられており、渡瀬図書館には地域の人々の熱い思いや願いが込められていた。同館の場合は「私立」とは言っても、設立経緯や運営面を見れば現在の「私立」とは様相を異にし、むしろ公共図書館の性格を強く帯びていたとみなされる
 大正6年4月23日、渡瀬図書館長菊地留吉は渡瀬区長芳賀祐之助から預かっていた10円68銭のうち渡瀬尋常小学校長白坂勇次へ渡した8円9銭を差し引いた図書館の残金2円59銭を渡瀬区長芳賀文之助に引き渡している(渡瀬区有文書631号)。その後『福島県学事一覧』(1919)には私立渡瀬図書館は掲載されておらず、大正7年3月頃までには解散していたとみられる。このほか鮫川村では、明治43年3月1日に私立鮫川図書館が創設されている。
(渡辺智裕)
 
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 地域史研究会活動情報
船引地方史研究会(田村市)
 本会は、当地の歴史を探り、文化財の保護を通して地域の発展に協力することを目的として、昭和44年に発足した。現在25名の会員で、以下の事業を行っている。
1.古文書解読講習会
 昭和50年代初頭に実施。その後、中心メンバーの転勤等により長く活動を停止していたものを平成17年から再開。現在月2回、15名ほどが参加している。今後長く継続し、当地に残っている古文書の保存利用に努めていきたい。
2.古文書入門講座
 一昨年から開始。古文書への関心の輪を広げ、将来解読できる人材の育成を目指す。月2回のペース。現在一般の方が13名参加。基礎の基礎から学習している。
3.文化財巡り研修
 年1回実施。今年度は県南各地のすぐれた文化財に接して、文化財に対する見識を高めながら、会員相互の親睦を図った。合併後の田村市内の文化財巡りを要望する声が会員の間から上がっており、是非とも実現したいと考えている。
4.史談会
 会員の提案により始まったもので、平成17年度より年3回のペースで実施している。地域の歴史的な話題・テーマを取り上げて、当地の歴史に対する興味・関心を高めることを目的とし、研究会活動の活発化を期待している。今まで取り上げたテーマは、以下のとおりである。
・田村家の家中分裂と大越紀伊守
・戊辰戦争と河野広中
・民権街道(移街道)
・南北朝期の両田村氏
・史料批判について
5.機関誌「船引地方史研究」
 昭和53年に創刊し、12号まで発刊しており、現在13号の原稿募集が進み、平成19年11月の発刊を目指し、編集にとりかかっているところである。
6.拓本講習会
 年1回、会員を講師に実施している。市内外に石碑を求めて出かけ、その成果は、毎年秋に行われている町の文化祭に展示している。
7.今後の課題
 若い方々(40~50代)の会員の増加、目的を同一とする大越地方史研究会との連携、活動及び成果の周知、広報部会制の導入(例 考古部会、近現代部会)。
 
事務局 田村市船引公民館   (℡0247(82)1133)
会 長 桑島 亮
年会費 2,000円

 
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 友の会の半年
 平成19年度の「友の会」は、設立3年目を迎え、ますます充実した活動を行なっています。とくに今年度は、研修旅行、会員限定による展示見学会や友の会講座など、会員参加型のイベントに力を入れています
●友の会日記◆
5月19日(土)役員会
5月26日(土)総会
 福島県文化会館2階会議室にて、今年度の事業などについて審議しました。(出席者34名)
6月3日 研修旅行
 米沢の直江兼続関連の史跡や博物館を訪ね、上杉氏の歴史について学んできました。(参加者33名)
7月15日(日) 友の会講座
 本年度の友の会講座は「ふくしまの歴史を学ぶⅡ」として「~ふくしま街道を歩く~」を奇数月の第3日曜日に実施しています。 第1回は、福島城跡周辺の城下町を絵図上で歩いてみました。(参加者12名)
 9月16日(日) 友の会講座
 前回に引き続いて、福島城下の絵図を参考に、現代の福島と比較しました。(参加者23名)
10月6日(土) 信夫山散策
 信夫山を中心に、福島県歴史資料館の周辺を散策し、主に福島市旧五十辺日地区の歴史について学びました。(参加者25名)
11月18日(日) 友の会講座
 第3回目は下郷町大内宿を中心に下野街道の沿道や歴史的文化遺産について学びました。(参加者22名)
11月25日(日) 会員限定展示見学会
 現在歴史資料館展示室で開催されている「新公開史料展Ⅰ」について担当学芸員から懇切丁寧な説明を受け、展示に対する理解を深めました。(参加者5名)
 「友の会」では、下半期も様々な情報の提供や充実した友の会講座・会員限定の展示見学会を予定しています。福島県の歴史と文化に対する知識と理解を深めるとともに、会員同士の親睦をはかりたいと考えています。ぜひ、ご入会ください。
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