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福島県史料情報 第21号(平成20年5月31日発行)

 
 目 次
 「磐梯山噴火真図」
 明治二十一年(一八八八)七月十五日(日)午前七時四十五分頃、磐梯山は突然噴火した。コニーデ状の美しい山貌は著しく変化し、周辺の村々では約五百人にも上る死者を出すに至った。この未曾有の災害は主に新聞・雑誌などによって全国に伝えられ、数多くの錦絵・木版画・石版画などが出版され、人々はこれらのメディアによって災害の具体的イメージを抱いたのである。
「磐梯山噴火真図」(個人蔵)
 右上の図はよく知られた木口木版画「磐梯山噴火真図」で、明治二十一年八月一日(水)付『東京朝日新聞』第千九十五号の附録である。山本芳翠画、合田清刻で、芳翠の画塾である生巧館が関わったものである。同紙が全国紙で発行部数が多かったこと、作品の完成度の高さによりこの版画は比較的多く伝来している。これに対抗して福島の地方紙である『福島新聞』は、八月十四日(火)付の附録として星鳩三撮影の写真を基にした石版画「磐梯山噴火坑真図」を大々的に刊行したのである。
 当館の磐梯山噴火義捐金に関する公文書によれば、報道によって災害を知った全国の人々から新聞社を通して義捐金が続々と寄せられた。国内はもとより遠くはアメリカ・ドイツなどの海外からも寄せられ、その社会的階層は多岐にわたり、相互扶助の精神が表れている。地域名望家としては苅宿仲衛・白井遠平・朝倉鉄蔵・堀切良平・渡辺弥平次などが名を連ね、彼らは地域のリーダーとしてこの災害に深い関心を寄せていた。松平容保・山川浩・山川健次郎・柴五郎など会津ゆかりの人々、勝海舟・黒田清隆・後藤象二郎などの政治家、ボアソナード・ガウランドなどの御雇外国人、噴火を調査した帝国大学理科大学教授関谷清景、噴火報道に携わった田中智学・プリンクラーの名も散見される。最後に、北会津郡甲賀町外五十八ヶ町戸長役場の星鳩三なる人物が六十銭の義捐金を寄附しているが、前述の人物と同一人である可能性が極めて高いことを指摘しておきたい。
(渡辺智裕)
  
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 県内市町村史の活用について
 福島県は、昭和三十七年から十年の歳月をかけて県史編纂を行った。この事業は全国的に見ても早い段階で着手され、全二十六巻は、高い評価を得ている。
 県史編纂事業スタート直後から、県内市町村においても、自治体史編纂事業が開始された。
 昭和四十年代の前半から福島市や郡山市・会津若松市・いわき市などの地方中核都市をはじめとして、町や村でも次々と編纂事業が立ち上がり、平成の大合併前の九十市町村すべてで市町村史の編纂が行われ、原町市史や月舘町史・表郷村史などのように、現在でも合併前の自治体史を継続して編纂している新自治体もある。
 市町村史は、自然誌・原始古代史・中世史・近世史・近代史・現代史・民俗・政治・産業経済・教育文化等の分野により構成されており、大合併前にほとんどの市町村で編纂されたことは、より詳細な自治体の歴史が反映されているということで幸いであった。合併により旧名が消えた自治体の住民にとっては、そこに郷土の歴史が存在した証になる。
 市町村史の活用は、考古学や中・近世史、近代史の研究に役立つばかりではなく、土木・建築や農業、地場産業の歴史や地方教育史、電源開発や石炭産業等の特定のテーマの研究にも、重要な資料を提供する。その意味で、貴重なアーカイブズと言えよう。
 自然誌の分野では気候・地質・植物や動物等が取り上げられている。植物を例に挙げると、福島県内では六十市町村で自治体史に地元の植物に関する記載がなされている。市町村史自然編における植物の記載は、そのまま当該市町村の植物誌となりうるもので、貴重なフロラ・アーカイブズと言えるだろう。
 市町村史は、個々の自治体の歴史等を調べるために有用なばかりでなく、県内九十市町村史が揃っているとなれば、福島県史と併せて、様々なテーマで県内を通覧し、総括・比較研究するための資料群ともなりうる。
 個人で全ての市町村史を所有することはほぼ不可能である。県内でそれらがすべて閲覧可能な施設は、当歴史資料館に加えて、福島県立図書館と福島大学地域創造支援センターである。当館では二階閲覧室において開架しており、年末年始とメンテナンスのための休館日以外は常時閲覧可能であり、研究活動に積極的に役立てていただきたい。
(山内幹夫)
 
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 古文書に記された古墳1
 古代に築造された「高塚をなす墓」すなわち「古墳」は全国各地に残されています。かつては祭祀が行われ、守護されていたのですが、時代が下るにつれて荒廃が進み、開墾されて田畑になったり、所在がわからなくなってしまうものも少なくありませんでした。
「二十四輩順拝図絵」高田専修寺の部分
 『一遍聖絵』は鎌倉時代中期の僧で時宗の開祖として知られる一遍の生涯を描いたもので、正安元年(一二九九)に完成しました。その第八巻に横穴式石室を持つ円墳の前で法衣と袈裟を身につけて弟子達と一緒に合掌して拝む一遍の姿が描かれています。この円墳は現在の大阪府南河内郡太子町に所在する叡福寺北古墳で聖徳太子が母と一緒に合葬されていると伝えられています。こうした記録が残されているのはごく一部の古墳でその他の多くの古墳は次第に忘れられていきました。
 江戸時代中期になると国学・勤皇思想の勃興を背景に古墳、主に天皇陵・皇后陵に関心が向けられるようになり、元禄年間には徳川幕府も古墳の調査や補修に着手するようになりました。例えば大和地方は奈良奉行に、摂津・河内・和泉地方は大阪城代に命じて、『元禄山陵図』と呼ばれる各古墳ごとの図や由緒書を作成、提出させました。
 一方、一般民衆の中にも古墳や出土した遺物などに興味を持つ人々が現れ、珍奇な物として研究されたり、絵に描かれたりしました。『二十四輩順拝図会』は、文化六年(一八○九)一○月に刊行された浄土真宗の有力寺院およびその近辺の名所図会です。今風に言うと浄土真宗の開祖・親鸞とその高弟二十四人にゆかりのある地を巡礼するためのガイドブックのようなものです。その「後篇四 陸奥・出羽・下野」(山内英司氏文書一四一)の高田専修寺(栃木県芳賀郡二宮町に現存する浄土真宗高田派専修寺)の頁には古墳に関する記述があります。
(小暮伸之)
 
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 地籍図に見る神指城1
 福島県歴史資料館には、明治十五年から同二十二年にかけて福島県によって作成された地籍図と土地台帳(地籍帳・丈量帳)が、八三三九冊収蔵されている。明治期の土地利用状況を記録した貴重な史料であり、福島県指定重要文化財となっている。現在、その複写については、福島県歴史資料館内において閲覧することが可能となっている。
神指城跡地籍旧状図
 地籍図には、地番と地番界(境界線)が明記され、耕地、草野、宅地、道路、水路などが色分けによって表示されている。また、土地台帳には、地番ごとの地目、地積、所有者などが記録されている。こうした記録は、土地利用の推移を把握するのに有効であるばかりでなく、失われた旧地形を推定する手がかりにもなる。
 写真は、地籍図に基づいて福島県文化振興事業団が作成した会津若松市神指城跡の旧状図である。城跡の全体像を復元するため、旧北会津郡高瀬村字五百地・高瀬・舘ノ越・大田、北四合村字本丸・二ノ丸・上吉六・西堀、中四合村字村北・村添・欠下・四十田・新舘・町道下などの地籍図を整合させて図化した。
 周知の通り、神指城は、会津百二十万石を領した上杉景勝が慶長五年 に築いたものである。徳川家康の会津攻めを迎えるにあたって築城は中止され、完成を見ぬまま廃城となった。昭和四十年代に圃場整備事業が実施され、外郭の土塁はその大半が失われてしまったが、この図は明治期における神指城跡の旧状を雄弁に物語っている。
 図中で色の濃い部分は草野もしくは官有地、中間的なトーンの部分が畑地、白い部分はおおむね水田である。開墾に適さない高地が草野、微高地が畑、水を引ける低地が水田であったと理解すると、草野は土塁、水田の多くは堀跡であったと推定することができる。これにより、神指城は「回」字形プランを持つ輪郭式平城であったことが読みとれる。
 細部を観察すると、道跡と土橋跡の関係から築城法を推定することができ、虎口・横矢の配置など、縄張の構造に関するヒントも隠れていることがわかる。その詳細について次号以降に連載したい。
(本間 宏)
 
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 文書と印刷
 史料学において近世と近代を分かつ指標の一つに、印刷技術の違いがある。
「福島県報」1
 近世では木の板に文字や絵を彫って版下にする木版刷りが主流であるのに対し、近代に入ると金属製の鋳造活字を用いた活版印刷が中心となる。この活版印刷は、写真植字やDTPが普及する近年まで広く行なわれていたから、史料学における近代は活版印刷の時代と言えるかもしれない。
 この技術は、ドイツのグーテンベルクによって十五世紀に発明されたという説が有名であるが、実は十一世紀の中国(宋)ですでに使用されており、日本では十六世紀末のキリシタン本や嵯峨本にこの技法を見ることができる。しかし、漢字仮名混じりの崩し字を表現するのに適していなかったためか、江戸時代に普及・発展することはなかった。
 活版印刷が、再び脚光を浴びるのは、江戸時代の末期、開国以後のことである。西洋の進んだ技術として捉え直されたこの印刷法は、以後、近代社会を席巻していくが、設備や費用の問題もあり、しばらくの間は木版刷りと併用されていた。したがって、史料整理などで目録を作成する場合には注意が必要となる。
 両者を見分ける最も簡単な方法は、文字そのものに注目することである。
 今回の大会に出席して、福島県歴史資料館においても、体系的な公文書の収集・整理・保管体制の構築と、公開に向けた努力という、アーカイブズとしての機能を高める必要性を強く認識した。
 活版印刷は、個々の活字が独立しているため、なかには、誤って文字が逆さまや横になっていることがあるのだ。これは木版刷りでは起こりようのない現象なので、一見して活版印刷と判明する。ほかにも、文字の並びが歪んでいたり、文字と文字との境目に線(活字の輪郭)が浮き出ているものは活版印刷である可能性が高い。
 しかし、こうした初歩的なミスは、技術の普及とともに次第に減少し、木版刷りと判別しづらいものも現れてくる。その場合は、罫線や枠線に注目をすると良い。活版印刷では、線もまた本文と同様に、専用の棒線を組み合わせて表現するため、線と線が交わる角の部分に切れ目(隙間)が生じることが多いのである。
 このように、印刷技法に注目をして、文書を眺めてみるのも、また面白いだろう。
 (山田英明)
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 地域史研究会活動情報
猪苗代地方史研究会
 当研究会は昭和四二年二月二六日に会則が制定されているので、この日が誕生日だと思われます。それから昭和四三年に機関誌である会報の創刊号が発行されています。それ以来、会報は毎年発刊され、本年の四月には四○号の会報を出しております。会報の他に会員により研究されたものを特集号として、今までに次のものが発行されています。

 ①長瀬川 昭和四四年一二月刊

 ②いなわしろの観音さま

 ③猪苗代の野仏

 ④いなわしろ三十三観音

 ⑤猪苗代の戦後五○年を迎えて

 ⑥猪苗代町歴史年表 平成九年刊

 今まで郷土の歴史、史跡の調査研究等は年を追って会報の中に収められ、貴重な資料となっています。また、会員の親睦を図ることを目的とした活動も進めています。具体的な事業として、今までに実施してきた例をあげてみます。
1 講演会
 会員または外部講師等による講演会で特別に開催日を設定したり、総会の日に実施しました。
2 研修旅行の実施
 春季は日帰り出来る範囲で実施。昨年は茨城方面。水戸の弘道館の見学、笠間城址の見学と調査他。秋季は一泊二日の研修。昨年は小京都、栃木市内見学。鬼押出し園他。
3 囲炉裏端談義
 二回。古民家(旧山内家)を利用。焚火を囲み歴史に関する話や四方山話を会員同士が自由に雑談出来る楽しい会になっています。
4 古文書解読研修会
 一○月~一二月、五~六回。現在は岡部文書。明和七年に書かれた道中日記、伊勢参り道中記をテキストとして使用し、文字のくずしかた・読み方・文書の解説などを学習しています。時間は一三時半~一五時半。
5 新年会
 会員の親睦を深めるため実施。町長・議長・教育長さん等も来賓として参加され、ご指導を受けています。
6 会 報
 一月~三月。係の者が主となって原稿をまとめて編集して会報作成にあたっています。会報は総会の時に配布しています。
 (会長 渡部 淳)
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